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HARMONYNEWS  1998

ハーモニーインターナショナルニュースレター No.19

 

男と女の愛のかたち


バラル 博子
HIC会員

人生を季節に例えて中国人は青春、朱夏、白秋そして玄冬と言う。"男と女の愛の形"という今年のニュースレターの題は、いかにも朱夏の女達が多いハーモニーにふさわしい。私はさしずめ白秋から玄冬の季節に属することであり、一人の男と31年もひたすら連れ添ってきた女でもある。近年いささか我々夫婦も枯れてきたようで、今や愛の形は"同志愛"に近いように思う。これでは拙文を読んでくださる方々にはいかにも退屈ゆえ、現在私のまわりで最もホットな男と女の話から始めよう。

この男40才、我々夫婦が最もその将来に期待をかけていた優秀なるエンジニア、真面目で働き者、7才年上ではあるが賢い女と彼は20才で結婚、かわいい女の子がふたりいて郊外に移り住んで18年、絵に描いたような幸福な家庭を営んでいた。彼の欠点と言えば直情径行型であること、背も高くハンサムであること、なぜハンサムがよくないかですって?女たちにモテますわね(クリントン氏の悲劇の例もあるじゃないですか)。

会社の出張で韓国に行った時、最初の2ヶ月は家族が恋しくてやせ衰えるほどだった彼が、現地の女の子と恋に落ちたというニュースが伝わって来た時は誰も信じることができなかった。やがて帰ってきた彼の変貌ぶりに嘆き悲しむ妻に、彼は言った。


「彼女とのことはけっして一時の浮気ではない、彼女に会って人生の価値観が変わってしまったのだ、償いは必ずする、申し訳ないが自由にしてほしい」
と、スーツケースをひとつ持って出て行ってしまった。この男はその後どれほど人に誹りを受けようが、非難されようが、ひたすら愛人におぼれて、あまり追い詰めると何をするか分からないといった状態になった。その女も儒教の教えがまだまだ厳しく残っている韓国の地方出身にもかかわらず、親も国も捨てカナダへ出て来てしまった。

それから2年、まだ彼の離婚が成立していないけれど、今このふたりは小さなアパートで片時も離れられないというような蜜月の時を過ごしているようだ。しかし、このふたりがたとえ無事に結婚しても、何年もしないうちに、男は裏切った妻や子供たちへの贖罪を考え悩むようになるだろうし、女にも『あれほど潔く妻子を捨てた男だもの、私もいつかは捨てられないかしら』と不安がよぎるのではないだろうか。裸で家を出て、全ての収入の半分は妻子を養うために容赦なく取られていく。自業自得とはいえ、貧しさもこのふたりのこころをいつしか蝕んでいくのではないだろうか。禁断の木の実は甘いがゆえに、その後に残る苦さもまた格別のものだろう。

人様だけを俎上に乗せては気がひけるので、恥を忍んで私の事も書いてみよう。まだ20代のころ(遠い昔のこと!)この人のためなら命も惜しくないと思い詰めていた日々があった。それまでにも人を好きになったことはあったのに、彼に会って初めて人生を生きたという感覚をもったのだった。

暫くの甘い夢も、彼の心変わりに気が付いた時から、私には地獄の苦しみが始まった。その怒涛のごとく荒れ狂う思いは、人格も理性も社会の掟さえも押し流すほど強いものであった。男が私の知人と外国で結婚するという決定的裏切りをしたことで終わらなければ、私は間違いなく自滅しただろう。しかし長い長い年月を経て、今にして思えば若い日に熱い炎に身を灼いた覚えがあるからこそ、私のように移り気で激しい性格の人間にしては『結婚』という静かな愛の形を大切にしているのかもしれない。

愛が不毛の時代、愛というものが混沌としているのが今の世の中だと思う。日本で社会現象にまでなったという"失楽園"(そのどぎつい内容にはへきえきしたが)、つまるところ愛は心中という形でしか完結しえない、という作者の思想に人々はどこかで納得するものがあったのだろう。また何度も観たと言う人がいる"タイタニック"(私でさえ3度も観た)、今世紀最高といわれるハイテクを駆使したその大掛かりな作品にも驚いたけれど、主演のデカプリオが扮するジャックが、ローズを死を賭けて救うその純愛に、人々は心打たれて涙したのだと思う。

オトコとオンナの愛の形についての定義は、人それぞれに違うと思う。しかし人は愛さずに生きていけない。それゆえに愛は人々が永遠に追求するテーマであり続けるのだろう。

 

『日本人の愛と死』− 心中考


布施 豊正
ヨーク大学名誉教授−自殺学


日本人の自殺の特徴の一つに心中がある。複数自殺としての心中は、大別して情死と一家心中(それは更に父子心中、母子心中に分類され、次に合意か無理心中かで別けられる)にわけられる。情死は愛人(異性または同性)を含む自殺であるが、日本の文化史を通して階級制度と人間関係が厳しく規定されていた徳川時代に多く見られた。当時の近松門左衛門の160に近い戯曲は、歴史的ロマンと義理人情の絡み合った悲劇に大別されるが、悲劇の多くは心中物であった。彼の悲劇に登場する人物は徳川時代のあらゆる社会階層の男女を含み、義理人情ときびしい社会の掟との板ばさみになって自殺してゆく物語が殆どである。「曾根崎心中」(1702年)、「心中天の網島」(1720年)などは、この日本的な「板ばさみのジレンマ」を実に良く描写している。

然し、このような合意心中(情死)は、封建社会の掟や慣習から解放されたはずの戦後の日本でも見られるのである。富士山麓の樹海でこの世で結ばれない愛を来世で結ぼうとする心中(情死)が今もって後をたたない。だから今でも時々警察と自衛隊の共同捜索隊が富士山麓のうっそうとした樹海をかきわけ、心中した人々の死体を収容している。私自身、富士山麓の近くの医科大学で自殺学の講演をしたあと、数人の精神科医の案内でその樹海の中を見学させてもらった事があるが、奥深く入る捜索隊員達は、死人の婚礼の晴着を見て、この世で果たし得ぬ愛の契りをあの世で果たそうとした男女の遺体に涙を誘われるという。

愛人、家族の同意を得ての自殺が合意心中であり、同意なしに相手を先に殺し、その直後自殺するのが無理心中である。だから無理心中は他殺と自殺の複合型で、日本のみならず外国にも見られる。北米では、自分を離れてゆく妻や愛人を殺し、その直後自殺するという男性による無理心中がよく見られる。それに対して、日本人によく見られるのは母親(そして妻)による無理心中である。母性社会といわれる日本の一家心中の80%以上が母子心中であるという事実は注目に値し、心中という美化された言葉よりも「子殺し自殺」とはっきり言うべきであろう。

母子心中は夫が不在中の日中に起きる率が最も多く、子殺しの対象となる子供は大多数が4才以下の幼児である。その原因は80%までが夫婦や嫁姑のあいだのおとなの問題であり子供とは関係のないことが圧倒的に多い。子殺し自殺(母子心中)の母親の特徴としては、25才から34才までの若い母親が多い。13才以下の子供を殺すというのは、米国では全殺人総数の4.3%にすぎないが、日本の場合、殺された子供の絶対数こそ少ないが、13才以下の子殺しは全殺人総数の25%という異常な高率を示している。

母親による子殺し自殺(母子心中)は20世紀に入ってから多くなった。更に、戦前の日本の一家心中は貧苦が圧倒的な原因であったが、戦後の繁栄した日本では、家庭不和、家庭不安定、母親の情緒障害による子殺しが多くなってきた。農村人口の大都会への急速な移動により、地方から移住した男女は両親、親戚、友人達から切り離されて都会という真空地帯におかれる。このような真空状態は新移住者の妻=母親にもそっくり当てはまる。アパートや公団住宅、郊外の新興住宅区などに住む核家族は一種の疎外集団であり、主婦を孤立させる要素が強い。育児の問題、家事全般の切りまわしなど全て一人でしなければならない主婦にとって頼るべきものは、か弱い自分のみである。この点、家庭の外で働く主婦には自殺や子殺しが非常に少ないという事実は注目に値しよう。子供を育てることにしか自己実現の欲望を持たぬ母親は、子供の溺愛に陥り、自己の人格と子供の人格を切り離して考えられなくなってくる。だからこそ、子殺しをする母親の殆どが子殺しを殺人と考えていない、という所に溺愛的母性社会の危険性と盲点がみられる。そしてその中に、日本型「愛と死」の大きな矛盾と弱さがにじみ出ていると考えられる。数件の「子殺し自殺」(母子無理心中)を生んだ北米の移住者社会の大きな課題の一つでもあろう。

 

「愛しすぎる女」から「愛する女」へ


穂積 由利子
翻訳家


クリントン大統領の女性スキャンダルを見ながら、ヒラリー夫人の心境に思いを馳せている。この前ある週刊誌を見ていると、「もともとアメリカの偉大さは赦すことにある。ヒラリーが赦せるなら、我々がどうして赦すことが出来ないのか。」という意見が出ていた。ヒラリー夫人が今回の夫の醜聞にどう対処するかは、まさにアメリカ国民の総意を左右するのだ。

私のヒラリー夫人観は「愛しすぎる女」である。彼女がどんなに夫を支えて来たかは私がここで言うまでもない。ヒラリーがいなかったらクリントン大統領は誕生しなかったといわれるほど、彼女すべての面で彼の筆頭アドバイザーであり、運命共同体だった。つい最近まで彼女は、度重なる女性関係の疑惑に対して断固として夫の正義を信じ、政敵の罠だと主張した。私など、事実はどうあれ、その姿にきりりとしたある種のすがすがしささえ感じたものだ。


しかし私は、彼女はもう「愛しすぎる女」を降りたのではないか、と感じる。もう彼女は夫を支えきれなくなった。そう見えるのは私の錯覚だろうか。クリントンがスキャンダルの渦中でもまだ笑い顔を見せるのとは対照的に、ヒラリーの表情は疲れて硬く、悲しそうな優しささえかいま見える。今まで見せていた夫を支える、自信のある、しっかり者の「大統領の妻」の顔ではない。


「愛しすぎる女たち」(読売新聞社)を書いて「〜すぎる女」という言葉の流行の元をつくったロビン・ノーウッドは、まえがきでこう述べている。「私が『愛しすぎ』の本質を理解するようになったのは、男性のクライアント(注:この場合はアルコホリック)の妻や恋人を通してだった。彼女たちの経歴は次のようなことを雄弁に物語っていた。彼女たちがパートナーの救済的役割を果たす過程で経験する、優越感と苦痛の両方を、彼女たち自身がいかに求めているか、また、何かの中毒患者であるパートナーに、彼女たちがいかに『中毒』しているかを。」


つまり、アルコールやギャンブル、女性、仕事などに嗜癖(依存)する男性の側で、彼らを救おうとして必死になっている女性、彼女たちはもともと内面に不安や空虚感を抱えてそれをコントロールしたいのだが、依存症者をコントロールすることに嗜癖して、もう一人の「愛しすぎる」という依存症者になるのだ。この時二人の間に出来上がるのが共依存という縛り合う人間関係である。

私はヒラリー夫人が本当に空虚感を抱えているのかどうかは知らないが、どうも彼女を見ていると、女性嗜癖を持った夫の不始末を懸命に取り繕っているけなげな人という感じがする。しかしアルコール依存症の夫を持った妻がその夫の世話やきをすることでますます悪化させるように、彼女の行動も、少しも夫の問題の解決になっては来なかったようにみえる。


紙面が限られているのでこれ以上のことは書けないが、私はヒラリー夫人のことを書いたのではない。私は、大統領夫妻が本来寂しさや不安を満たしてくれるべき愛のある人間関係を「愛する人」との間に得られなくて、その空虚感や不安や寂しさを、仕事、アルコール、情事、子供、ギャンブル、買い物、などで満たそうとしている現代人の象徴のように見えたことを書きたかったのだ。そして、内面の空虚は自分を愛することが出来なければ決して満たされないこと、自分を愛することが出来なければ相手を愛することも出来はしないことを言いたかったのだ。

最後に、最近出席したセミナーで知った自分を愛し始めるために有効な自己暗示の言葉を紹介する。自分を責めたくなった時、罪悪感を感じた時、いやになった時、自分に向かって言ってあげてほしい。毎日何度か繰り返すと良い。もちろん男性にも有効です。

「私は、どんなに私を理解できなくとも、私をそのまま受け入れ、愛しています。」

 

可愛い悪女


勝谷 由美子
HIC会員


一般的な見方であると思うが、50代にもなると、私達は愛情の形の変化に少しずつ気づき始める。50代と言うと語弊があるかも知れない。昨今、私自身が感じ始め、また友人の愛情問題で色々と考えさせられる機会が増えて来たためかも知れない。


高校を卒業する時、私は何人かの親しい先生に、私のために何か一筆書いて欲しいとお願いしてまわった。どの先生も皆快くオーケーして下さって、次々に私を呼んで思い思いの内容のものを手渡して下さった。当時の先生方は割合年齢が若く、私達17、8才の女学生にとっては、憧れの的であったり、批判の的であったり、とにかく賑やかな女学生達の話題の中心であった。学校の授業やクラブ活動以外でも、お食事や音楽会、キャンプ、ハイキング等へグループを作っては先生方とよく出かけた。そんな事もあってか私達は、先生と生徒と言うよりも先輩、後輩と言うか、むしろ年上のお友達という間柄のようにさえ感じていた。


別れを惜しむ長い手紙を書いて下さったり、またある先生は人生の教訓を沢山並べて下さった。最後の方に取っておいた私が一番気になる先生からの原稿用紙を胸ふくらませてそっと開いてみると、「男を困らせない女は魅力がないよ。」先ず、そう書き出して、ツラツラと原稿用紙4、5枚にわたり魅力的な女性になるための秘訣(?)が書かれてあったのである。では細かい部分を思い出せなくて残念だが、その先生が教え子達に贈る言葉として常々考えていて下さった事なのかも知れないと思い、非常に感激した。親の立場から見たら、女学校の教師が生徒にこんな言葉を贈る等とんでもないと怒るかも知れない。しかし、私にとってはとても役に立ち、色々と目覚めさせて戴き、今でも感謝しているのである。「女性はある時、程よく悪女であれ」と教えていた。どういう訳か私はその部分を胸にしっかりと刻み込んでしまった。


父を戦争で亡くしてしまっていた私は、父母の愛情のやりとりを観察する機会がなかったためか、友人達と比べると、私の男女間の愛情に関しての目覚めはずっと遅い方であった。若い頃の私は、先生のその言葉を胸にしまい思い悩んでいた。大抵の事は解らなければ直ぐに質問していた私であるのに、この事に関しては何故か恥ずかしさが先に立って、口にすることが出来ずにいた。そのうち、主人と知り合い結婚した。勿論、それからも先生の言葉はしっかりと胸にしまってあった。


ただ悪女といっても、本当に害をもたらすいやーな悪女とエンジェルのような「可愛い悪女」がある。少しだけ我儘を言ってみては後で夫の反応をみてたっぷり愛情を表す。愛情の糸をピンと引き合って、向う側の相手の存在を確かめ合う。私はそんな可愛い悪女にちょっとだけなってみようかなと思った。ハイハイ女房は、夫のエゴを満たすだけで長い目で見ると本当のベターハーフにはなれない。縁あって夫婦になったのだから、二人で一緒に考え、そしてアクションを取って人生の勉強をし、成長してゆきたいと思う。夫婦の間で演じる可愛い悪女、それは適当に夫に刺激を与え、喜びももたらす健康なラブゲームである。勿論、先生の言葉のように「ある時、程よく」を守らなければならない。


つい最近、私の友人に困った事が起きたのである。友人の夫に若い過激な可愛い悪女が出現し、あっという間に夫は彼女に魅せられてしまったのである。聞けば30年間も培った愛の巣をトルネードの如くムチャクチャにかきまわし、夫をさっと連れ去ってしまったのである。残された妻と娘は事の成り行きに唖然とし、そしてくやしさに泣きわめき、混乱し、途方にくれている。夫の言い分はといえば、当年56才になり、「もっともっと若さを保っていたい。彼女と居ると自分に若さを感じさせてくれる。」とか。


女性は50代にもなれば誰でも更年期を迎え精神的にも肉体的にも色々な障害に出会う。そんな時こそ、やさしい夫の理解と愛情に支えられ二人でその波を越えてゆくべきであるし、男性の場合でも更年期とは言わないまでも、やはり女性と同じように50代ともなれば色々な変化がやって来る。そして、若さを保つのに躍起になる様子もよく解る。しかし、誰でも年は取るもの。年を取ったら、それなりの喜びや楽しみを見い出すものではないだろうか。川の流れのように何にも逆らわず、何かに無理にしがみつかず、スムーズに平安な心で生きたいものである。


私自身の今の生活の中では、先生のあの言葉はもう身についたのか特に意識しなくなっていたが、今回、友人のこの一件で考えさせられ、久々に先生の言葉を思い出したのである。人は結婚後、ただ敷かれたレールの上を淡々と走っていただけで、お互いに好きな事をして暮らして来た。二人の共通の遊びや楽しみは特にない。食事もまるで異なるタイプのものを好むとか。そんなに共通のものがない人同士が何故結婚したのかと聞けば、仕事を通して知り合った二人で、それが二人の楽しみであったが、彼女は家庭に入り子育てをし、安定した暖かい家庭を築いていたつもりなのである。そこに現れた過激な「可愛い悪女」の話を聞き、元々赤い糸で結ばれていたふたりなのかなと何となくカルマ的つながりを感じていた。とにかく、友人が何とかこの大波を上手に乗り越えて、彼女の魂の成長に役立てて欲しいと願っている。


あれから3ヶ月ほどして、友人に会うと、驚いた事に事態は一変して、何とその若い悪女は気に入った就職先がみつかり、他の地に移ってしまい、彼女と居たいがために30年という歴史のある家庭を捨てて行った彼が、今度は一人ぽっちになっていたのである。もう家へは戻れない。娘からは「もう、私に会いに来ないで。」と言われ、愕然としている。彼にとっても今までの自分の生き方をじっくりと反省し、新たな自分を意識して、人生を創り出さなければならない時が来たのかも知れない。こんな状態になる前に、もっともっと前に先生の言葉をこの友人に分けてあげたかった。「女性はある時、程よく悪女であれ」と。「可愛い悪女」はエンジェルなのだから…。

 

オアシスの仲間たち


佐々木成喜
トロント移住者協会理事

カナダに住んでいると、時々は日本へ行きたくなります。日本へ帰ってもしょうがないとおっしゃる方もありますが、私はやはり日本でおいしいものを食べるとのと、友達に会うのが楽しみですね。カナダに来る前に、十何年か、あるいは何十年か日本で生きてきた人生のあり方に応じて、人それぞれにいろいろな友達が日本にいると思いますが、私の場合は、日本にいる娘夫婦とか従兄弟たちは別として、友達としては中学、高校の頃の仲間が一番です。終戦直後の旧制中学がそのまま新制高校になったので、同じ校舎で同じ仲間と、中学時代と高校時代を過ごしたのです。新潟県の柏崎高校です。


その頃一緒に学校新聞を作ったり、演劇をやったりした仲間十人ほどが大学を卒業して間もなく、「オアシス」という同人雑誌を作りました。毎年一回だけの雑文集ですが、一度も途切れずに今年で第38号になります。表紙は絵を描くのが好きな男がいて、彼が毎回スケッチを提供します。印刷ができると(最初の頃はガリ版でした)、その年の幹事が招集をかけて、東京か、東京と新潟との中間のたとえば湯沢温泉とか信州などに集まります。

私は三菱銀行に勤めている間も海外勤務が半分、日本でも関西勤務が二回もありましたし、転職後は北米ですから、オアシスの会に出席できたのは半分もありませんでしたが、文集を通じて仲間との心の交流はずっと続いていましたし、日本へ行けば必ず誰かが号令をかけて集まってくれました。


この仲間は文字通り五十年の旧友ですが、そこは日本のこと、集まっても男だけでした。ところが、これが昨年になって変わったのです。昨秋私達夫婦は一ヶ月半ほど日本に滞在しましたが、その時に私達のために開いてくれたオアシスの会について、私が夫婦同伴で集まろうと主張したのです。場所は信州の別所温泉の古い旅館でしたが、夫人づれが二組現れました。飯塚と藤田というのですが、この二人は数年前に脳卒中でたおれ、リハビリで何とか、杖をつきながら出歩けるようになったのです。一人では無理あるいは心配なので、夫人が付いてきたというわけです。


こうして会に出席できるようになるまでに、二人の夫人は相当苦労したに違いないのですが、二人ともけろっと明るく、男達と一緒の温泉旅館の宴会を楽しんでいました。その後東京に帰ってから、別の二人が夫人づれで夕食を共にしてくれました。「夫婦で付き合おうよ」という私の主張がすこしずつ実現したわけです。

中学高校以外の友人についても、やはり最近すこしずつ変わってきたようで、労働組合の役員をしていた頃の仲間が、夫婦でナイアガラ旅行の時にわが家に寄ってくれたことがあります。この夫婦とは東京でも四人で食事をするようになりました。トロントで知り合いになった駐在員で彼らが帰国後も日本で付き合ったり、トロントへ訪ねて来てくれたりする友人もいますが、この人達とのお付き合いは大体夫婦単位ですね。


さて、話は戻って、信州の温泉に初めて夫人連れで現れた飯塚ですが、この夏に夫婦でトロントへ訪ねて来てくれたのです。わがアパートの一階のゲストルームに泊まって、ナイアガラへ行ったり、CNタワーに上ったり、飲茶を食べたり、夫婦二組四人で楽しい日々を過ごしました。飯塚は碁が趣味で、アマチュアでは最高の五段の持ち主ですが、彼が倒れてから、夫人が彼にあわせて碁を習い、今や初段の腕前です。(初段というのは、結構高い水準で、そう簡単に取れるものではないのです。)毎日夫婦で五回は手合わせをするそうです。旅行中も磁石付きの携帯用の碁盤を持って歩いていました。碁を本気で習っただけでも、彼女の思いやりが分かりますが、素晴らしいのは、愛を押し付けず、目立たない姿で彼を助けていることでした。


日本式の朝ご飯をわが家で食べてもらったのですが、彼は左手が不自由ですから、右手だけで食事をします。お茶碗と箸の両方は持てませんし、味噌汁なども片手では飲みにくいのです。隣に座った私がつい、いろいろ手伝ったりするわけですが、彼女はにこにこして、見ていても手助けはしないのです。その方が本人のためなのだそうです。さらっとしたものです。


この二人がさりげなく助け合いながら、生きている姿を見ていると、つい感動して涙が出て困りました。苦労を乗り越えた結果なのでしょうが、彼らはごく当たり前のようにして、生きているのです。お互いの愛は水のように、滑らかに通い合っているようです。彼の口からは「ありがとう」の言葉が自然に流れ出ていました。どういうわけか、日本人男性はこれが下手ですからね。私なども、妻に「ありがとう」をいうべき機会が、毎日数え切れないほどあるのですが、なかなか口から出てこないで困っています。これでも少しはましになった方で、若い頃はもっとひどかったですね。

飯塚夫婦はNTTをリタイアして、最終勤務地であった長野市に住んでいますが、来秋は私達が訪ねて行って、信州各地を案内してもらい(夫人が車を運転するのです)、再来年の夏には、もう一組オアシスの夫婦を誘って、カルガリーで落ち合い、私がバンを運転してロッキーを案内する約束です。今から楽しみです。

 

不可思議なもの、それは「愛」

サンダース宮松 敬子
HIC会員

この何ヶ月の間、メディア関係に毎日名前の出なかった日はなかった人たちといえば、言わずと
知れたビル・クリントンとモニカ・ルウィンスキーの2人だろう。
驚くほど情報網の発達している昨今では、スキャンダルの内容は瞬時に世界を駆け巡り、人々
はその詳細を把握することができる。9月中旬に出された事件の報告書は445ページという膨大
なものであったが、インターネットに載せられたため、当然ながら誰でもが容易にアクセス可能であ
る。
この事件の一番の核心は、一言で言えば大統領が女性関係に関し「嘘を言ったこと」に尽きる
のだが、微に入り細に渡った大統領と若い娘との関係は、まるでポルノでも見ているかのように、
「イッヒッヒッ」「ウッフッフッ」といった思いで一般の人たちは読んだという。
クリントンもここまで追い込まれるとは計算しなかったのか、目の下のたるみや疲労のあまり急激
に増えたように見える白髪が痛々しいほどだが、自業自得の報いといおうか、50づら下げた大の
男の尻拭いなど誰もできはしない。
しかしこのスキャンダルで一番傷を受けたのは大統領の一人娘チェルシーではないかとは、恐
らく誰でもが思っていることだろう。もちろんヒラリー夫人の気持ちもいかばかりかと察するに余りあ
るが、何んといっても"あの夫人"のこと、そう簡単には挫け(くじ)けそうにはない。
報告書が発表される以前に示していた夫を支えるがごとくのパブリックでの姿勢と、私生活での
2人の関係は、映画「DAVE」のように、決して同じものではないだろうことは想像できるが、クリント
ンが大統領を辞めたら別れるのではないかと予想する人は多い。もちろん妻ならそれで「一件落
着。ハイ、お手を拝借」で終わるかもしれないが、娘となればそうはいかない。いつまでたっても父
娘の関係は続くのである。
現在カルフォルニアのスタンフォード大学の学生である彼女は、モニカ嬢が大統領と関係を持
った年齢とほとんど差がなく、それを思うと父親の愚かさを身に沁みて感じるのではないかと穿って
しまう。ましてクリントンはセラピーを必要とするセックス・アディクト(性耽溺症)という病気ではないかとも
噂されている。それが本当か否かは別にしても、この手の話題は口さがない人たちの格好のトピッ
クになる。全米のコメディアンたちが、笑いを誘うのに使った材料の最高頻度の記録を樹立したと
いわれるほどで、若い友達の間でチェルシーがこの時期をどのように切り抜けているのかと思うと、
同じ年頃の娘を持つ母親としては胸の痛みさえ感じてしまう。
もちろん男と女の関係は予想などつかない、予期しない出会いがあるからこそ心ときめくのであ
って、一度好きになれば、年齢も社会的地位もその他諸々のことが関係なくなる例は多い。だから
こそ、愛とは不思議なもので常識では考えられない関係も生まれるし、だからこそ、そこから映画も
文学も芸術も生まれるのである。「ロリータ」しかり「痴人の愛」しかり「愛しき情婦」しかりである。
もちろん何もクリントンばかりが"女たらし"というわけではなく、周知のように故ケネディー前大統
領とマリリン・モンロー、故宇野前首相と芸者、トルドォー前首相とリオナ・ボイドなど、洋の東西を問
わず時代を超えて、パワーのある男性と女性たちとの関係は枚挙にいとまがない。
またNYのビジネスマン、ドナルド・トランプもテキサスの石油王ハーワード・マーシャルもギリシャ
の故パパンドレル元首相も「糟糠(そうこう)の妻」を捨てて、皆若い奥さんと再婚、再々婚してい
る。
もちろん何もクリントンばかりが"女たらし"というわけではなく、周知のように故ケネディー前大統
領とマリリン・モンロー、故宇野前首相と芸者、トルドォー前首相とリオナ・ボイドなど、洋の東西を問
わず時代を超えて、パワーのある男性と女性たちとの関係は枚挙にいとまがない。
またNYのビジネスマン、ドナルド・トランプもテキサスの石油王ハーワード・マーシャルもギリシャ
の故パパンドレル元首相も「糟糠(そうこう)の妻」を捨てて、皆若い奥さんと再婚、再々婚してい
る。
社会学者によるとそうした権力のある男性によりかかりたいとの思いは、多くの女性の中にある
自然に備わっている性癖で、ゆえに、驚くほど年上の男性と驚くほど若い女性とのカップルが生ま
れたり、また"英雄色を好む"の諺通り、昔から社会的地位がある男性には、女性が寄って来るのが
世の習いということになっているそうだ。
たしかに年上の落ち着いた既婚男性は、世間知らずの若い娘にとっては安心と信頼をあたえて
くれる頼もしい存在に違いない。モニカ嬢にしても、結果は"暴露"という言葉に等しいものになって
しまったものの、最初は世界で一番パワーのある男性と関係を持ったことに心底驚き、そんな自分
に酔いしれながら、もしかしたら結婚も不可能ではないと一途に思ったのだろう。
ナイーブといえば余りにもナイーブだが、たかだか21歳の世間知らずの娘を誰が責められるだ
ろう。反面自分の立場を利用して、ひたむきな幼さを弄(もてあそ)んだ大統領という中年男の狡さ
の功罪は何といっても大きい。
恋愛は人生の最良の教師であるとは自他共に認めるものだが、このスキャンダルではモニカ嬢
が失ったものは得たものよりもはるかに多い気がする。
しかし、たとえこんな陳腐な間柄でもお互いに好もしいと思い、両者合意の上での関係なら、そ
れはそれで男と女の一つの愛の形なのだろう。
誠に不可思議なもの、それは「愛」である。

 

男と女


武田 真里
HIC会員、マミーズ会長

朝日新聞社が毎年行う国民意識調査は、今年は「男と女 変わる愛の形」と題され、なかなか興
味深い結果だったので、簡潔に紹介すると共に、私の身辺にみる「男と女」にまつわるお話も併せて紹介したい。

『あなたは"結婚"という言葉にどんな印象を持っていますか?』という質問に対する回答は「責
任」を筆頭に「共同生活」「新しい人生」「幸せ」「忍耐」と続いた。女性の回答では「忍耐」が男性の
それに比べ際立って多かった。

次に『夫婦は"一心同体"がよいか?それとも干渉しない部分があるべきか?』では、回答は推測通り後者が7割を占め、"一心同体"が死語となりつつあることを示した。それでも、"死後"は8割が
一緒に墓に入ることを望んでいる。

続いて『"愛情"はどんな形で表すのがよいか?』においては、「家庭内の協力」「ちょっとした気
配り」が圧倒的に多かった。「スキンシップ」や「プレゼント」等の回答が1割にも満たないのは、私の予想に反するところだ。

さて、このアンケートで一番興味深かったのが次の"離婚"について。「離婚してもよい」が全体の
6割で、反対派の2倍。96年には、実際の離婚件数も1899年の調査開始以来最高を記録し、
特に結婚して20年以上たつ夫婦の"熟年離婚"も過去最高となり、離婚全体の16%を占めていた。

それでも、『"子供"が夫婦のなかをつなぎとめているか?』では、イエスが7割強あったので、子供
がいなければこの数はもっと上がっていたかもしれない。


最後に"不倫"について。これは日米比較で表されており、好感のもてる人から不倫の交際を誘
われた場合、日本では3割以上が「心が動くと思う」と答えたのに対し、米国では「全く応じない」が
7割近かった。また、不倫が「どんな場合でも許されない」と答えたのが日本では5割に満たなかっ
たが、米国では全ての年齢層で7割を越え、日本との違いが際立った。


昨年4月から「マミーズ」という新米ママさんの子育てサークルを開始した。日本語を話す母親
の仲間を増やすのが目的で、今では会員も30名余りと大所帯になった。毎月のミーティングでは、
子育てに限らず、"夫婦げんか""家族計画""ストレス解消法"など、できるだけ面白いテーマについて話し合っている。


どんな話題にしても多かれ少なかれ夫の話が出てくる。ちなみに夫は日本人に限らず様々なバ
ックグランドをもつ。空港で出会ったというロマンティックなカップルから、カナダに移住したいがた
めに迷ったあげく夫を利用した形で結婚したカップル(夫もうすうす感じているそうだが、今では子
供もいる)、恋愛当時はアツアツだったのに、子供ができて以来すっかり夫婦仲が悪くなったカップ
ル、そんな状況をおそれて子供を作ろうとしないカップル、今だに毎日、夫が帰るとハグとキスを欠
かさないカップル、結婚3年目にして既に離婚を考えているカップル(ちなみに子供もいる)等々。
中でも、元大家さんのご主人に今でも家賃を払い、何から何までフィフティ フィフティ50/50と対等な関係を保っている人の話は私達を感心させた。


日本でも近頃、離婚率の増加と共に結婚しない"独身貴族"が増える傾向にあるようだ。また、
"同性愛"に対する受け入れも寛容になりつつある。確かに同性とお茶する方が楽しいし、相手の
気持ちも理解しやすいと思う。でも、せっかく神様(?)がこの世に2つの違う"性"を創造されたのだから、異性と上手に付き合いたい。そして縁あって結ばれ、築き上げた"家庭"なのだから、がんば
って維持してゆこう。かといって一度きりの人生だから、"忍耐"で終わらせるのはもったいない。

永遠のテーマである「男と女」。色々な形があるだろう。こうあるべきだとは言えないが、ひとりの
人に決めたなら、その人と"楽しく"時を過ごしたい。そうするために、"相手を自分と同じ位愛する"
ことを(時には忘れることもあるが!)心がけている。

 

愛は毛糸のDRAWERS

田中 裕介
「日系の声」 編集者


「男と女の愛のかたち」なんていうテーマで、失楽園にも後楽園にも行ったことのないオジサンはいったい何を書けばよいのでしょう。三日も泥沼にはまり込んだようにもがいていますよ。しまいには、てやんでえ、愛にカタチがあってたまるもんかよ、とふてくされ始めたものです。

そうですよ。[愛]なんていうこの上もなく形而上学的なココロの中身に無理やりカタチを与えようなんてすると、いきなり形而下なカタチが立ち現れてきてしまいます。それはココロの一番感じやすい部分を包んでいるもので、いうならばココロの引き出しにしまわれている下着のようなものです。ですから、ザ・ベイのランジェリーの広告を見ればわかるように、いろんなカタチがあるわけです。それでいて基本的に他人に見せびらかすもんでもないわけで、相手がどんなカタチの下着を、いや、愛をまとっているかなんて分かりませんし、とりわけて興味のないことです。とは言え、電車の中でなんとなく下着が透けて見える女性が目の前に立ったりすると、「あれぇ?」と途端にそわそわしてしまうのはどういうオジサンの心理なんでしょうね。


見えそうでいて決して全貌をあらわにしてはくれないのが愛のカタチで、だから、男と女は狂おしくも求め合うのだな、とか何とか下着のちらしをめくりながら、一人で勝手に納得してしまいましたよ。

実は、僕は女性の部屋に忍び込んで下着の詰まった引き出しを、まるで宝の箱をそっと押しひらくように開けて、息を飲んで見つめたことが一度だけあります。下着ドロボーしたわけではありません。まだ独身の二十代後半だった頃、よく日曜日に一緒にテニスをしていたカオルちゃんと、なぜかその日は僕のアパートで料理を作って二人でおママごとをしようということになった時のことです。彼女のアパートにはシャワーがないので、シャワーを浴びたい、でも、下着の替えがないの、私のアパートまで行って取って来てくれない?と言い出したのです。


正直言って一瞬たじろぎましたけどね、「おっ、いいよ」とかなんとか軽いノリをよそおってバイクにまたがり、僕は早稲田通りを十分ほど走って阿佐ヶ谷の彼女のアパートまで行きました。でも、どうにも女性の部屋のドアの鍵を開けて入るというのは後ろめたいものでした。何故かコソドロのように足音をしのばせてしまうわけです。


大学院に通うカオルちゃんの部屋は意外と質素で、北国育ちには東京の夏はつらすぎると、親が買ってくれたというエアコンだけが1DKには不釣合いに幅をきかせていました。目指したタンスはすぐ見つかったのですが、あれっ?上から何段目の引き出しだったっけ? 取り敢えず一番上の引き出しをそっと開けた時の驚きをなんと表現したらいいのでしょう。


そこはまるで小さなお花畑でした。クルクルと筒状にたたまれた純白やら淡いピンクの花柄の小さな下着が乱れなくきちんと並んでいる有様は、僕の想像力をはるかに凌駕するもので、しばらく声もなく見惚れていました。そして、これが小さなカオルちゃんが毎日とっかえひっかえスカートの下に付けているものなのかと思うと感動すら覚えたのです。言われた通り手前の白いのをすくうように両手で取り出して、他の住人が不審に思う前に早く退出しようとしました。ところがどうしたことでしょう。どうにも、どうにも、僕の足はその宝の箱から立ち去ろうとしないのです。足が勝手に、もうちょっと、もう一段だけ覗いて見ないかと、僕をそそのかすのです。いや、足のせいにしてはいけない。僕はどうにもその好奇心を押しとどめることができませんでした。そして、そっと一段ずつ覗いていったのです。すると、とっても意外なものが出てきたのです。毛糸のズロースでした。おフクロが昔はいていたのと同じ地味な紺色です。冬に洗濯した後、カチンカチンに凍りついたまま物干しロープからぶらさがっていたやつです。面白がって無理やり折り曲げたりすると毛糸が傷むので、「ちょしたらダメ!」とたしなめられた、あの母の限りなくふくよかな下半身を包んでいた毛糸のズロースがこんなところにあったなんて…。


ポーッと上気したままの顔でアパートに戻ると、待ちかねていた様子のカオルちゃんもなんとなくポーッと恥ずかしそうに下着の入ったポリ袋を受け取りました。そして二人は何事もなかったかのようにおママごとを続けたのです。


さて、その後の二人はどうなったか、聞きたくなった?残念ながら、表面的には何もありませんでした。散歩の最中に手が触れ合って、互いにドキっとしたことがあったかもしれません。でも、二人ともあるところでキチッと線を引いて、それ以上は決して近寄りませんでした。その方が、二人の関係に芽生えていた微温のぬくもりを長く楽しめるはずだと、したたかに目配せもせずに了解していたからだと思います。


実はカオルちゃんは、僕の親友の元恋人だったのです。彼の転勤が決まり、婚約を迫った時、彼女は戸惑い、悩んだすえ、とにかく修士を終わらせたい、その先のことは今は考えたくないと断りました。ところが、その亀裂は次にとてもつらい別離を用意していました。彼は未練を断ち切るように、その後、見合いをしてさっさと結婚しましたが、しばらくの間は二人とも、はたで見ていてかわいそうなくらい落ち込んでいました。僕はと言えば、二人の間で「いつも明るい蛍光灯」の役目をおおせつかって聞き役に徹していたわけです。ただ実際のところ、僕にとっても、カオルちゃんとの陰影をつくらない関係を維持するのは実はちょっとシンドイなと、親友との友情をとるか、自分のパトスを全うするかという夏目漱石的「ココロ」のジレンマを悩んだ時期もありました。あの選択が正しかったかどうかなんて誰にもわからないけれど、ただ、男と女の愛のカタチなんて到底その当人同士にしかなぞれないものだと、そうつくづく思うのです。

そして二十年。中年のおばさんになったカオルちゃんは、まだあの紺色の毛糸のズロースを履いているのかな。ちょっと、興味あったりして…。

  かなしみと言えば
       他から見れば
            ただ視線が下方に傾くこと
                             (永瀬 清子・詩集「蝶の酩酊」)

 


編 集 後 記


今年のニュースレターのテーマは、HICがこれまでに一度も取り上げたことがなかった「男と女の愛」についてです。快く寄稿を承諾してくださった方たちから、個性あふれる傑作エッセイが集まりました。


興味深い心中考や依存症についての深い洞察、幸せな結婚生活の秘訣や友人夫婦の心温まる愛情物語、思わず吹き出した愉快な毛糸のズローズ逸話、また、身近に繰り広げられる不倫劇からクリントン大統領のスキャンダルまで、いろいろな角度から見た「男と女の愛のかたち」が浮かび上がりました。


朝日新聞のアンケートの結果、不倫に対する回答が日米間で大きな差があったことは、とりわけ興味を持ちました。日本の異常なまでの「失楽園」ブームが何故起きたか、わかったような気がします。

さて、皆さんはこのユースレターを読んで、どうお感じになったでしょうか。


(シェマー ゆみ)



最近「Men are from Mars, Wemen are from Venus」という本を読んだ。本当に目から鱗どころか、それまでの疑問がすっきりしていくのが快い響きだった。男は火星人、女は金星人、ゆえに同性同士ではツーカーなのに、異性同士では誤解はおろか、言葉の意味さえ正確には伝わらない。あーそうか、と思い当たる事が数知れず。本当に読んでよかった。だから同性愛にはしる人の気持ちが何となくわかったようだ。なぜに、人はそんな意志疎通の困難な相手を選び、わざわざ苦労をしょいこむのか?


まあ、そんな事は恋愛中には思いつきもしなかった。「愛」って子孫繁栄のために人の思考を神
様が「ちょっとストップ」させてしまうことなのか。

でも、そんな時として煩わしい男女の愛も、それなしの人生は薄ら寒い荒野の様かもしれない。


(ウインクラー 千鶴)


HICでは、今年からDTP(デスク・トップ・パブリッシング)プログラムを導入して、ニュースレターの枠組み作りから記事や広告のレイアウトまで、一貫してクラブ内で出来るようになりました。

ところが、コンピュータに向かっていると、浮かんで来るのは子供時代の手作り新聞。スリルと実感がありました。大きな模造紙にマジックで書き込んだ小学校の学級新聞。 中学時代のガリ版印刷は、しっかり力を入れないと薄くて読めないし、力を入れ過ぎると原紙に穴が開いてやり直し。鉄筆のガリガリ鳴る音が耳の奥にまだ残っています。


初期のハーモニーニュースは手書きでした。手に取ると今でも創立メンバーの意気込みが伝わってくるようです。私達は便利さの名の下にまたひとつ大切なものを失おうとしているのでしょうか。とはいえ、以前なら郵送か手渡すしかなかったオリジナル・ロゴの鮮明なイメージが一瞬のうちにE-mailで届けられるのを見ると、やっぱり拍手を送る私です。


(コズロブスキー 阿部美智子)


16年前にトロントの日系社会の中に根を下ろしたハーモニー・インターナショナル・クラブ(HIC)は、年毎に少しずつ着実に枝を広げて参りました。枝の広げ方はその年によって異なりますが、常に自己の向上と地域社会への貢献という2点を念頭に置いて活動の計画を立て実施して参りました。例えば今年も色々な催し物に参加致しましたが、特にHICが傘下に属するトロント移住者協会(NJCA)主催のバーベキューとインフォーメーション・ブースへの参加、そして東京キャラバンのおもちゃ売り場でのボランティアは何年も続いています。


またHIC恒例の夏のピクニック、お誕生会、クリスマス・パーティーはメンバー同士の親睦を図る目的で行っています。更に今年は会員のアーティストによるワークショップを開始し、より豊かな人生を送るお手伝いも始めました。その他にもトロント滞在の日本人医師による救急法及び応急手当講習会、訪加中の日本人女性運動家による講演会を実施致しました。


そして11月には日系文化会館の新館工事支援を目的とした現代邦楽、西川浩平アンサンブルによるコンサートで今年度の活動を締め括りますが、世界共通の音楽を通してトロント社会にも私達ハーモニー・インターナショナル・クラブの活動を知っていただければ、と願っております。

今年のニュースレターのテーマは、数学の様に明確な答えが得られない、しかし興味深いトピックであるところの「男と女の愛の形」と決まり、様々な意見や考えが寄せられました。追求すればする程内容が限りなく深くなる「愛」のようですが、HICも今後益々中味が濃く、奥行の深い賢明なグループに発展させていきたいものです。


(ハイド 容子、HIC会長)



[原稿はアルファベット順]


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HARMONYNEWS  1997

ハーモニーインターナショナルニュースレター No.18



HARMONYNEWS  1996

ハーモニーインターナショナルニュースレター No.17

中村マーク(JFS所長)